円環少女祝宴本~悪鬼のための栞~Blog版

C88で頒布した同人誌『円環少女祝宴本~悪鬼のための栞~』のBlog版です。

①バベル再臨編

収録巻:円環少女(1) バベル再臨

 担当:◆…立花/◇…kieru

【あらすじ】

 普通の女子高生・倉本きずなはある日、魔法の力に目覚めた。クラスメイトであり《公館》の専任係官の神和瑞希にその魔法が再演大系という名前であることを教えてもらったきずなは、神聖騎士団に襲われる。神聖騎士団は神のいないこの世界に神を降臨させるため、再演大系の魔法使いが必要なのだ。神聖騎士団がきずなを逃がそうとした父・慈雄を殺そうとしたところに、本編主人公・武原仁が現れ、彼女を助ける。
 神の降臨の舞台《幻影城》の鍵は、魔女ジェルヴェーヌが協会から強奪していた。ジェルヴェーヌはきずなの前で慈雄を殺し、彼女を幻影城へ連れていく。彼女は神聖騎士団の企みを利用するつもりなのだ。
 仁たちはきずなを助け出し神聖騎士団とジェルヴェーヌの企みを阻止するため、彼らを追って幻影城に入った。三つ巴の戦いの末、仁は辛くもジェルヴェーヌを倒し、聖騎士エレオノールを無力化する。戦いは終わったと思いきや、仁は最後に裏で糸を引いていた人物に気づいていた。きずなたちが去った幻影城で仁はその人物、慈雄と戦って彼を殺す。
最後の戦いを秘密にしたまま、仁はメイゼル、きずなとの新しい生活を始める。

【名シーンTOP3】

◆「聖騎士出陣」1巻/P51

 隊員みんなで剣を重ねて隊長が聖句を唱え、出陣するという聖騎士たちの儀式。生還できたのはエレオノールだけというか、そもそも生還できないのが前提の任務である、というその後の展開を知っていると、聖騎士マジで神意に生きてるなあと感慨深い。シリーズ通しての重要キャラであるエレオノールの初登場であり、またここではエレオノールの他ずらずらと十二人神聖騎士団が出てくるのだが、続巻を含めて覚えておくべきは可愛い後輩女子のリュリュだけなので安心するべし。

◆「マルク・フェルゼーの概念魔術」1巻/P78

 剣を用意するだけのシーンなのだが、シリーズを通しての基本設定としてキーワードである概念魔術の初登場であり、また鉄パイプが剣に変身しながら夏の夜のアスファルトに霜が降りる、それは鉄パイプを鍛え直すための熱の収支を合わせるために周囲の気温が下がったから、という作品世界のルールを印象的な風景に落とし込んで描写する、長谷先生のワザマエ。

◆「仁、回復」1巻/P280

 景気良く絢爛豪華に描写された幻影城が仁の魔法消去で炎上・崩壊する、というばっちりアニメ化してほしい壮大な風景と、これまで魔法治療のため魔法消去を封じられていた仁が切り札を取り戻すという大逆転の予感が合体した、最高に盛り上がるシーン。ビジュアルとドラマのクライマックスをきっちり噛み合わせてくるのは、長谷先生の生真面目さなのか、魔法消去周りの基本的な着想が本質的に優れているゆえなのか。いいシーンだ。基本的な物理法則を乗り越えられないタイプのSFを見ると真っ先に思い出す名ゼリフ、「エネルギー保存やエントロピーなど、持たざる者の泣き言にすぎない」byベルニッチの初出でもある。

◇「幻影城崩壊の小さな音」1巻/P280

『アラームが、目覚めを告げてピピッピピッと、軽い電子音を鳴らす』の一節。幻影城に突入してからメイゼルから受けっとったストップウォッチ。その軽い電子音が魔法消去の能力解放の合図だった。それに呼応するかのようにバベル再臨の舞台は炎を上げて崩れゆく。地獄には奇跡はない。
 仁は自身の生命維持のため、魔法消去を発動出来ない戦いを強いられながらも、なんとか染血公主/ジェルヴェーヌと相対する。バベル再臨の最終局面。奇跡を焼きつくす魔法消去、それに怯え「…悪鬼ッ!」と恐怖を吐き散らかす高位魔法使いのジェルヴェーヌの表情、さらに崩れゆく幻影城崩壊の図は、まさに絵になる一幕。特に円環少女の主軸となる構図、真なる悪鬼/武原仁に恐怖と嫌悪を抱く高位な魔法使いの関係を端的に表現している名場面と言える。

◇「『神意』か『人』か『魔法という力』か」1巻/P289

 エレオノール・ナガンの神音大系の神意、仁が信じる繋がりから生まれる人との絆、歴史改変という野望を持つジェルヴェーヌの魔法の力。その三つ巴のシーン。特に、神意と人の関係は、円環少女シリーズ特有の心の闘争が描かれている。
『ふざけんな!ここに神サマがいないから地獄だなんて思っているのは魔法使いだけだ。(中略)勝手に“救って”くれるなよ!』とエレオノール・ナガンに言い放つ仁。
 人間誰しも、どんな神にでも救って欲しいという願いが普遍的にはあるだろう。偉大なる神の存在への崇拝。だがしかし、円環少女世界の人間である武原仁は、徹頭徹尾、その救ってくれる、手を差し伸べてくれる神/神音大系にさえも、“勝手に救ってくれるな”と強い意志で叛逆する。そこに甘えも妥協もない。円環少女世界の神音大系の神意と現実世界の宗教/救う神は、同一とは言い切れないが、ここまで神にすがらない仁の姿に惚れ惚れする。また、長谷先生から醸しだされるドM思考/SF思考の根源にも惚れ惚れする一場面。 個人的には、長谷先生は究極のドM思考人間であると勝手に崇拝しています。SFには神はいない。

◇「地獄ではトキドキ女子高生が全裸で空をとぶ」1巻/P305

『わたし、武原さんがす、スキです!』の強烈な一言。そして、全裸で落ちてくる女子高生/倉本きずなが唐突に仁に告白するという圧倒的な濃厚ラブコメシーン。バベル再臨の最終局面ではあるが、何度読み返しても読者の不意をつくような突然の告白。ここから、仁とメイゼルときずなの三角関係愛憎劇が始まる。また、人と人との繋がりである絆の表現の出発点でもある。
 神意を求めた聖騎士たちは倒れ、高位魔法使いのジェルヴェーヌが、バベル再演は人の勝ちであることを認める場面でもあり、バベル再臨の終幕でもある。人との絆こそ、地獄を地獄としないキセキの魔法。