円環少女祝宴本~悪鬼のための栞~Blog版

C88で頒布した同人誌『円環少女祝宴本~悪鬼のための栞~』のBlog版です。

②グレン・アザレイ編

収録巻:円環少女(2) 煉獄の虚神(上)、円環少女(3) 煉獄の虚神(下) 

担当:◆…立花/◇…kieru

【あらすじ】

 相似大系魔導師/グレン・アザレイが世界へ宣戦布告した。物語のキーワードは、北風と太陽。旅人役は、グレン・アザレイの双子の弟/浅利ケイツであり、地獄に住まう魔法使いであり、鴉木メイゼル。北風役は奇跡尽き果てた地獄であり、《公館》であり、専任係官。太陽役は、神に近き者/グレン・アザレイ。太陽は魔法使いらしく生きること主張し、『この地獄は間違っている』と宣言し、世界を照らす。グレンはまさに煉獄に顕現した虚ろなる神となる。

 一方メイゼルは魔法使いとしての誇りを、ケイツやグレンによって奮い立たされ、その心は振り子のように揺れ動く。仁の足手まといとなるか?魔法使いとしての誇りを貫くか?はたまた、地獄で唯一、手を取ってくれた仁と共に歩むことを選ぶのか?
 少女の心は揺れに揺れ、仁とは離れ離れになり、それでも最後は二人一緒にグレン・アザレイに挑戦する。円環体世界の安定しない世界からやって来た少女は、奇跡なき地で仁という信じられる安定した場所を手に入れる。サハラ砂漠決戦、孤島での水着ラブコメ、海上の最終決戦など盛りだくさんな内容。あと、『負けない、鴉木 メイゼル』

【名シーンTOP3】

◇「メイゼルの初来訪と勃っぱなしの先生」2巻/P28

 メイゼルと出会ってから数日経ったある日こと、京香の作り過ぎたドーナッツを携えて先生の一人暮らしの部屋を訪れる小学生のメイゼル。そして、まだ日本特有の文化に慣れておらず、三つ折にした布団を無造作に広げて、仁の枕にその可愛いお尻を乗せて座るメイゼルの一言。
『せんせ、たちっぱなしでいいの?』
 メイゼルはこの台詞を布団のしわをその白い手でのばしながら言うのである。また仁の視線は無防備にのびたミニスカートの太ももへと注がれる。この背徳感と犯罪感。この頃のメイゼルは仁に対して、まだ嗜虐的な性癖の片鱗を見せていない。つまりこの情景は長谷先生のメイゼルにはこうして欲しい、仁はこう苦しめられて欲しいというのを端的に表現しているのではないか?圧倒的なドM思考。メイゼルに男の弱い部分を大胆に踏み荒らされたいという欲求が駄々漏れである、と勘ぐってしまう。全然関係ないけれど、ドーナッツも円環。


◆「サハラ砂漠での死闘」2巻/P146

 協会の存在感というものは、1巻では、刻印魔導師という理不尽なシステムから窺うことができる程度だった。その協会の実効的な――物理的な凄まじさが垣間見えるのが、このシーンだ。
 化身の十六分身でのプラズマ流制御であるメイゼルの天使の輪、それをはるかに超える二百十六分身による超高強度自由電子レーザーの乱れ打ち。周囲の空間を「攻撃されていない空間」と相似にすることで攻撃を止める防壁。分子の相似を利用して相手の呼気から酸素を奪う窒息攻撃。円環大系の「周期運動を操る」ということが、相似大系の「かたちが同じものは同一のものである」ということがどういうことなのか――一つ一つの魔法大系は、極限まで至るとこれほどのことができるのだ。その対決は、クリストファー・ノーラン作品もかくやというスペクタクルをもたらす。
 協会に反乱するということは、一千の魔法世界それぞれを代表する最高位魔導師千人を相手にするということだ。このシーンを読めば、その途方もなさが分かるだろう。

 

◆「メイゼルの地獄」2巻/P229

 魔導師としての矜持から百人討伐の責務から逃げず、また仁への恋心からも子ども扱いを嫌がるメイゼル。しかし仁には一方的に守るものとして扱われ、同じ刻印魔導師であるネリンにも足手まといと断じられ、さらにケイツには三度も敗北を喫してしまう。
 グレン・アザレイ編では、「大人と子ども」「悪鬼と魔法使い」である仁とメイゼルが互いに歩み寄り、仁の言う『守る』の肯定的な側面をメイゼルが見つけ(3巻P139)、メイゼルの恋心に仁が(この段階での)答えを返す(3巻P154)ことで”似ている”二人がより対等な関係になっていくさまが描かれる。このシーンは、その過程の一番の谷に当たる。仁の元を離れることを決意し、傷だらけの姿でそれでも微笑むメイゼルは、痛々しくも魅力的なままならない小学生ヒロインとして読者の心に消えない傷痕のようななにかを残すに違いない。そのことをメイゼル本人は大喜びしそうなところがまたたまらない。

◇「月下、背中合わせの門にて」3巻/P41

 メイゼルが十崎家を離れてから二日。神に近き者/グレン・アザレイとの戦いに決死の覚悟を決めたメイゼル。その理由は、仁の足手まといになることへの後ろめたさと魔法使いであることの誇り。しかしながら、月下の夜、神和邸の門扉の前で、仁はメイゼルの涙まじりの声とかすかな息遣いを聞く。『せんせ、そんなにあたしの声、聞いていたんいんだ?』『聞いてたいな』
 二人を隔てるものは門扉だけだけれど、離れていた時間と距離が一気に縮む。夜。月下の男女。背中合わせの門という非常に絵になる描写は、決戦前夜の静けさを表現している。

◆「グレンvs高位魔導師六百九十一人」3巻/P222

 相似大系の元刻印魔導師・浅利ケイツは、サハラ砂漠で使い捨ての駒として差し向けらえれ、グレンに無残に殺された刻印魔導師たちを見て吠える。「あれは、私だ! あそこで焦げているのも、あっちで首を折られたのも、そこで窒息したのも、すべて私だ!!」と(3巻P38)。
 ケイツは生まれてすぐ違う魔法世界に捨てられ、さらに地獄墜ちの刑を受け、ひたすら逃げ続けて生きてきた。それに対してグレンの歩んだ人生が全く異なることは、協会の彼に対する「『人間を問答無用にねじ伏せる圧倒的な経験がな』く、よって相似大系の強力な技術である洗脳術は使えない」という分析でも裏付けられる。
 しかしグレンはケイツに力を与えるために魔法で脳を接続したとき(2巻P179)、双子の弟がもがいた地獄の日々を見た。
 このシーンでグレンは、協会に守られてきた魔導師たちにケイツの恨み言をぶつけ、格の違いを見せつけて与えた絶望を梃子に、彼らが「グレンにはできない」と思っていた洗脳術をかける。グレンの圧倒的な実力に酔いながらも、ケイツの恨みがいくばくかは晴されるという慰みも得られる、少々後ろ暗い爽快感たっぷりのシーンだ。

◇「せんせがいるから、この世界は地獄じゃないの」3巻/P279

 小笠原諸島近海。グレン・アザレイとの最終決戦。メイゼルのとっておきであった超高速で超高熱なレールガン攻撃もグレン・アザレイにはあっさりと防がれる。かつ、グレンは戦闘中に独自の発想で編み出した半透明の赤い複製障壁で仁たちを追い詰める。仁はケイツを信じ、とっさの機転で空間扉に飛び込んでグレンに《魔導師殺し》の刃を振るうが、そこを信じていたケイツに裏切られ、《魔導師殺し》を弾き飛ばされる。
『――弟よ。今のお前は驚くほど、私と“似ている”』
 英雄に戦いを挑んだケイツの意志は、その時、神に近き者/グレン・アザレイに似ていた。つまり地獄に落された人間(ケイツ)と神(グレン・アザレイ)は似ていたということ。だがしかし、グレンは、神への挑戦を口にしたにもかかわらず、その宣言を違えたケイツの手をあっさりと突き放す。その関係とは対局的に、悪鬼(仁)とは違っている魔法使い(メイゼル)は、その手と手を取り合う。
『せんせがいるから、この世界は地獄じゃないの』
 仁はこの世界は地獄ではないと証明したい。メイゼルがこの世界は地獄じゃないと言うことで、二人の “似ている”関係が成立する。